2019年12月21日

『自主性』と言う名の『自由』を手に入れた選手達・・・
まだまだ外向けに責任が取れるほどの器ではない。
しかしながら卒業後は厳しい世界に飛び出さなければならない。
そのために大人達に守られている大学4年間を最終章として,しっかりと丁寧に過ごすことが大切である。

組織の枠組みの中で・・・

それぞれが自覚を持ち,皆の当たり前が・・・基準が・・・高い水準に上がっていけば,組織の枠組みも大きくなっていくことでしょう。しかし,低い水準であるならば枠組みは小さくなり『強制』と言う縛りが出てくることでしょう。

『自由と責任』が隣り合わせのように,『自主性と責任』も隣り合わせだと考えます。
自分と向き合い考える時間は決して無駄ではありません。

チームに身を捧げ・・・仲間のために汗水を流す。
その姿勢こそが己を成長させ,自分を取り巻く環境を変えていくのです。
勝負の世界に生きる・・・容易いことではありません。
一瞬の喜び,歓喜の瞬間のために多くのストレスに立ち向かい,多くの苦難を乗り越えるのです。

何かを捨てて・・・何かを犠牲にして・・・
大好きなサッカーと向き合おう。



今日の記事は,陸上アスリートである方のお言葉から

・自由には責任が伴い、自分の人生で責任をとるということを自覚するというのが自由な社会。

・個人として自由に生きるということは愚痴を言わずに選択の責任を取り続けること。

・自由とは覚悟で決まる、苦しい孤独な道。

自由な社会を作りたいというのが私の考えですが、表面は偏見のない、誰もが自分らしい表現をできる社会をということになりますが、裏面は少し残酷な側面があります。自由には責任が伴い、そして好むと好まざると関わらず自分の人生で責任をとるということを自覚するというのが私の考える自由な社会です。


私の家は、本当に何をするかどこへ進むかに関し、全く自分の自由にさせてくれました。一度もこうした方がいいと言われたことがありません。ただ、一方で進んだ大学で悩んだり、自らの選択を悔やんだりしても、話を聞いてもらえません。したところで、静かに聴き終わってから“でもあなたが選んだことでしょう”と言われるだけです。



日本においては相当に選択の自由が許されていますから、進学、就職、住む場所、恋愛相手、かなり自由が利きます。自由が利き自ら選べるということは結果どうなるかも含め、自分の選択にかかっています。

自由とは覚悟の話だと私は考えています。自由は苦しい孤独な道です。エーリッヒフロムは、孤独に耐えきれず人は自由から逃走し、隷属と依存の道を歩むと言っています。


孤独に耐えきれず人は、何者かの下に入ることで、または何かの私物化をすることで、自らの選択を放棄し、結果責任から免れようとします。言われた通りにしている限り、言った側の責任になるからです。

けれども、私の考えでは、それでもなお人生をトータルして人は責任をとるということだと思っています。つまり自由から逃走した人生では、自らの人生の手綱を持っていないわけです。ある日、自らが所属する組織やコミュニティが崩壊した時、人が放り出されるとします。困ったなんとかならないかと、彷徨う人に自由な社会はこう突きつけます。

“だってこうなるように生きてきたのはあなたじゃないですか”と。


今どのような人生を生きているかは、今までどのように生きてきたかで決まっていて、明日どのように生きるかが未来を決めるわけです。極めてシンプルで、人生は美しいと私は思っています。それを残酷だと感じる人もいますが、少し寂しいながらもホッとしている人もいます。私は後者の人間となるべく仕事をしたいと思っています。


自由とは覚悟で決まります。自由になるということを覚悟を持って受け入れられない人は生涯にわたり何かに依存し隷属する道を歩みます。自由な社会とは大人の社会です。私は私がどのように生きてきたかの結果でできているということを受け入れる社会です。そしてその覚悟が決まった時、今この瞬間に私は新しい自分になれるのだという希望が湧き出てくると私は信じています。




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